フンバルト・ヘーデル🇩🇪ベン・シタイナー兄弟の雑記

文盲かつ知的障害者のブログです。読んでも何の得にもならないので、さっさと帰ったほうがいいです。

潜在意識とか引き寄せとか

 

よく言われる「既に叶ったつもり」になれば願いが叶うとか、自愛とか、良い気分でいれば良いとかそういうのぜんぶ違うなと思ってる。

潜在意識界隈での達観?レベルの目安になりがちな「エゴに振り回されない別の領域」っていうのもけっきょく錯覚の範疇だなって。

べつに「既にある」と認識すれば叶うわけじゃないんですよ。

「叶った状態を先取り」とかそういうの関係ない。

一方で「願望をもった時点で実現もしている」に関してはそれはそうなんだけど、自由に選べるわけではない。

実現が先だし、過程と願望がわざわざ後付けで辻褄合わせてくるだけ。

「既にあるって認識したから叶った」

「別の領域がわかったから叶った」

「意図したから叶った」

「快を心がけたから」「自愛したから」「イメージングしたから」その他諸々なにも関係ない。

みんな関係ないし、あたかもそれっぽく後からエゴにそう思わせられているだけ。

まるでエゴと無関係の別の領域にいれば自然に願望が叶うようになるとか、望みをチョイスするだけだの耳障りがよくて勘違いしそうになるけど、ほんとぜんぶ錯覚にすぎないから。

正確には選択権は与えられているけど、選べないように仕組まれてる。

 

実際は生まれた時からずっと自由意思なんて存在してないのに、自分で選んでいるんだと思い込むように巧妙に細工されているだけです。

 

たとえばマセラティクアトロポルテGTSが欲しいとして、願望を認識した時点でとっくに「結果」は生成済みということになる。

そこからエゴが納得するようにわざわざ過去→未来の時系列順に「手に入れるまでの過程」がいかにもそれっぽく段階踏んで繰り広げられます。

馬鹿らしいよね。