フンバルト・ヘーデル🇩🇪ベン・シタイナー兄弟の雑記

文盲かつ知的障害者のブログです。読んでも何の得にもならないので、さっさと帰ったほうがいいです。

潜在意識とか

 

思考を止める系の元祖一式さんのメソッドなどとても興味深く、実行している。

元祖一式さんの場合はエゴ(顕在意識)を止めることによって(潜在意識)にすべてを委ねるという主旨なのだけど、ホ・オポノポノなどは似ているようだが逆のアプローチであるようにも思える。

 

・元祖一式 →   あらゆる思考を止める(潜在意識に託す)

・ホ・オポノポノ →   潜在意識をクリーニングする(インスピレーションを下すのは他の領域の存在)

 

全託するべき対象が違うことに気づいた。

面白い。

 

自分も最近、願いを叶えたり物事をより良い方向に自然と導いているのは潜在意識ではなく(ずっとそう思ってきたが)そうではなく、

もっと別の領域なのではないかという気がしてきている。

潜在意識は結局、エゴに指令を出している存在だと捉えるなら、物事が上手くいかないのは潜在意識のせいだと思うのが自然なのでないか?と。

 

苦しかったり辛い出来事があったり、願いが叶わないのは「べつにエゴのせいではない」んじゃないかと自分は考えています。

 

なぜならエゴが現実に対するリアクション装置に過ぎず、命令系統にたとえると、潜在意識の意のままに動いているいわゆる「実働部隊」だとして、指令を出しているのは潜在意識。

 

元凶は潜在意識にあるようにしか思えない。

 

本当に潜在意識は私達にとって頼るべき味方であるのだろうか?

 

今の現実のあらゆる不幸を仕組んだのは、他ならぬ潜在意識の他にないのでは。

 

中の人

 

個人的に長年ずっと疑い続けていることなのだが、作家の辻村深月って「中の人」は完全に恩田陸だと思う。

というか、確信に近く思い込んでいる。

 

辻村深月の作品を書いているのは表立って顔出ししている女性ではなく、実際に執筆しているのは恩田陸だろう、ということ。

 

もともと作風や文体が似ている事で比較されることもある両人だが、注意深く読めばわかるが正直「似ている」どころのレベルでは無い。

 

そのまま。本当、そのまんま。

 

仮に恩田陸の作品を1日10時間研究してリスペクトして筆跡かじって癖習得して文体を寄せきったとしても、ここまでは似るまいと思う。

端々の文体の癖が細かい部分までマジで「同じ」なのである。

 

酷似、という言葉ですら違和感が残る。

 

しかし自分が最も違和感を感じるのは辻村深月の各インタビュー。

何故あんなに拙いのだろうと愕然とした。

 

喋り方がどうのとか、慣れていないとかそういう次元ではなく、ただただ語彙力そのものが乏しい。

 

自らの作品ではあれほど柔軟で表現力に長けた言葉選びでファンの心を射止めているというのに、いざ喋ると……なんだこれ。

というか、別人じゃん、と。

 

そんな事を20年くらい折に触れてはずっと考えていた。

というか、何故みんなわからないのだろう。

不自然すぎる。

 

こんな事がまかり通る業界。

ゾッとする。

 

 

 

潜在意識とか引き寄せとか

 

単純に不思議に思ってることなんだけど、みんな「本当の願いが叶わない」「本当の願いなら叶う」「本願が〜」とかいう言い方するじゃん。

 

そもそも、その願ってることが「自分の本当の願い」だってどうしてわかるん?

 

いつもすごい不思議なんだよ。

何でみんなどれが「本願」かわかるの?って。

 

1番考えてる時間が長い願いだから?

1番叶ったら助かる願いだから?

1番叶ったら嬉しいだろうと思う願いだから?

1番ワクワクするから?

 

一体どこに判断基準を設けてるんだろうってほんとに不思議。

どこにも証拠があるわけでもないのにさ。

みんな最も望むことが本願だと信じて疑わないじゃん。

 

だって、もしかすると自分が認識してないだけで潜在意識に組み込まれている設定が

「長年苦労してついに社会的に成功して裕福になったけれど、そのあと不慮の事故や事件や天災に遭遇して一気にすべてを失い惨めな思いをするという『劇的』な展開の人生が送りたい……!」

みたいなケースだってありうるはず。

 

その場合も本人は本願が「社会的成功」だと信じてやまないわけですよね。

 

おかしい。

 

 

 

 

潜在意識とか引き寄せとか

 

よく言われる「既に叶ったつもり」になれば願いが叶うとか、自愛とか、良い気分でいれば良いとかそういうのぜんぶ違うなと思ってる。

潜在意識界隈での達観?レベルの目安になりがちな「エゴに振り回されない別の領域」っていうのもけっきょく錯覚の範疇だなって。

べつに「既にある」と認識すれば叶うわけじゃないんですよ。

「叶った状態を先取り」とかそういうの関係ない。

一方で「願望をもった時点で実現もしている」に関してはそれはそうなんだけど、自由に選べるわけではない。

実現が先だし、過程と願望がわざわざ後付けで辻褄合わせてくるだけ。

「既にあるって認識したから叶った」

「別の領域がわかったから叶った」

「意図したから叶った」

「快を心がけたから」「自愛したから」「イメージングしたから」その他諸々なにも関係ない。

みんな関係ないし、あたかもそれっぽく後からエゴにそう思わせられているだけ。

まるでエゴと無関係の別の領域にいれば自然に願望が叶うようになるとか、望みをチョイスするだけだの耳障りがよくて勘違いしそうになるけど、ほんとぜんぶ錯覚にすぎないから。

正確には選択権は与えられているけど、選べないように仕組まれてる。

 

実際は生まれた時からずっと自由意思なんて存在してないのに、自分で選んでいるんだと思い込むように巧妙に細工されているだけです。

 

たとえばマセラティクアトロポルテGTSが欲しいとして、願望を認識した時点でとっくに「結果」は生成済みということになる。

そこからエゴが納得するようにわざわざ過去→未来の時系列順に「手に入れるまでの過程」がいかにもそれっぽく段階踏んで繰り広げられます。

馬鹿らしいよね。

 

 

 

 

 

メタル

 

だいぶ前にアンドレ・マトスが急死してから何だか萎えてしまい、以降は全くメタルを聴いてこなかった。

 

いや、全くではないかな。マイケル・キスクの復活はすこし気になってハロウィンは少し聴いていた。

 

でも正直いうと復活後のマイケル・キスクの声に自分はもうあまり魅力を感じなかったし、マトスもそうなのだけれどやはり全盛期の声に震えた後だとどうしても物足りなさが付きまとって純粋に楽しめなくなっていた。

 

勝手に失望するならだまってメタル聴くのを止めるべき。

 

まさしくそう思ったけれど、ふと近年のプライマルフィアーを探して聴いてみたら圧巻のハイトーンは健在のようで感動してしまった。

 

プライマルフィアーってバラードも唸るほど上手いよね。